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卓話『仏法のしずく』 藤枝宏壽様

仏法のしずく1

☆☆☆☆☆ 2月7日(水)☆☆☆☆☆  
 
外部卓話 『仏法のしずく―洋の東にも西にも』
       
         了慶寺 住職 藤枝宏壽様

こんにちは。今回は丸岡の地にお招きいただきましてありがとうございます。私は松岡の福井医科大学に18年間勤めていまして、とても身近に感じております。
 お手元のプリントを見ていただくとお分かりになるように仏教とロータリーがシンボルマークが良く似ています。         
無我=超我の奉仕「Service Above Self」「四つのテスト」平等=公平 仏の慈悲は絶対平等です。人間はなかなか平等に出来ません。自分の都合の良いものには目をかけるし、都合の悪いものには目を叛ける。しかし、仏はいつも平等です。
智慧・慈悲 人間は知識ばかり求めているが、本当の智慧というものは出てきません。智慧とはモノの本当の姿が見える。人間は我欲で見てしまい自分の都合の良いように見てしまう。我欲我執なくして実相(本当のありのままの姿)を見る。それを出来たのが「仏の智慧」なのです。仏教の智慧の大事な所は智慧のある仏は慈悲が生ずる。人間の世界と違う所です。我々は知識を持つと偉くなったかの様にと人を見下す。「あいつはあかん。可哀想だ。勉強せんものを知らんもんは。俺は良かった」独り悟り澄ますのが人間の知識・智慧の姿です。仏は実相がわかってくると衆生が苦しむ姿を見ると何とか助けなければならないという慈悲が生ずるのです。「真実の智慧は真実の慈悲を生ずる」これが本当の仏の智慧だそうです。本当にものがわかった人はわからない、悩んで苦しんでいる人を助けていこうという働きに出る事が大乗仏教の精神です。
その様に智慧と慈悲はペアになって尊ばれています。RCの真実は智慧に通じ、真実と公平で智慧に通じ、友情をもってみんなの為になるようにというのは仏の智慧が慈悲に働くような精神で活動しているのはなんと仏教とロータリークラブとは良く似ているのかと感心しました。
 『仏法のしずく』は右側のページに短い法語が書いてあります。左のページはその解説をしています。実はこれは一枚のハガキなのです。上段に法語を書いて下段に解説を書いて毎月自分の信徒の方、友人などへ慶事法語として出していまして7、8年になります。貰った人が本になされたらといわれ出しました。その本のイラストは俳画を勉強していた知り合いの80?歳のおばあさんが絵を描いてくれました。
ハガキは毎月1日に着くようにしています。最初はお寺にこれない人(病気や施設に入っている人)に慰問のハガキのつもりで書き出しました。貰った人の中に1枚のハガキを毎日毎日眺めて大事そうにしまっていたと教えられ、1枚のハガキがこれだけ喜んで貰えるならと今では200余枚を出しています。
私は実は今年で50年で終えますが英語教員なのです。家では縦文字でお経を読んで、学校では横文字を教えているという生活をしていました。仏教と英語があわせて一つにならないかと常々思っていました。ある時、アメリカの真宗界のトップの方と(ハワイ大学の教授)仲良くなりEメールをしています。
『仏法のしずく』をメールにて英訳を見て貰っていましたのでそのまま英語と日本語の同時出版をしようということになり、一昨年の12月に同時出版しました。福井新聞が珍しいという事で記事に取り上げてくれて今日に至っています。
「仏教東漸にあやかり」というのは仏教は西のインドのほうから中国、朝鮮、日本と東から来ています。それが今、アメリカに伝わっています。特にハワイは仏教が盛んなので東洋のものを東に伝えていこうと始めました。ところが仏教の思想を英語に訳するという事は大変です。例を挙げると「煩悩」evil passions 「我執」self attachment などありますが、「信心」はfaith とありますがキリスト教の神を信じるということでチョット違います。浄土真宗の信心とは全く違うので英訳できないという事でShinjin or faithとそのままローマ字で表記しています。「いさぎよさ」暁鳥先生の言葉に“信心とはいさぎよさを生きることだ”とあります。Renunciation ものをさーっと捨てるとい言うことかなと思います。
「仕事というものは 生かされている 御礼にするものだ」
Work is what you do in thanks for being allowed to live
私は3月で教員生活50年になり退職する事になり最後に生徒にこの言葉を送ろうと思っています。「君達は就職して、なんでこんな事をせなあかんのやろうか?」と思った時、お金のためだけに働いたら人生つまらないよ。自分が生かされているお礼にするんだ。という気持を頭の片隅において欲しいと思っています。
「生かされているということは結論でなく出発点である」
私達は命を作れません。命はお父さん、お母さん、その先祖長い人類・生物の歴史をたどって今日の命がある。地球上に一つの生命が出来てから35億年だそうです。それが進化して、進化して何兆億分の1の確率で今日の私になるのです。
この命を支えてくれるものはご飯です、魚、肉、野菜です。それらも全部自然のお恵みで、価格は人間の手間代なんですよ。この世の中で一番尊いものは値打ち付けられないものです。命の支えの不思議さです。
食べたものが血や肉になり自分のエネルギーになる。自分で生きているのではなく、もらった命も支えてくれる食べ物も中の働きも生かされて今日がある。生かされている自分が今日から貴方の行動はどう変わるのか。ロータリーの実践活動はここにくるのではないでしょうか。 
人類を幸せにする智慧と実践が仏教においてもロータリーにおいても洋の東にも西にもますます広まって欲しいと思います。

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